4月14日、滞在9日目。北京から長春(旧満州)へ。
午前から夕方に掛けては、798芸術区を改めて後井さんに案内していただく。北京を訪れている愛知トリエンナーレのキュレーター鷲田めるろさんもご一緒に。
先日ここを案内してもらった際には行き過ぎたコマーシャリズム(と個人的には感じる)的な作品群を見たり聞いたりして、なにがアートなのか分からなくもなったが、きちんとキュレーションが効いたスペースに解説を得ながら触れることで「大丈夫、お金が回っていても良い作品はやはり良い」という至極当たり前な結論に達した。
特にそう思えたのはUllens Center for Contemporary Artの展覧会だった。それは3人のアーティストたちによる展示で、植民地主義や移民、国家を越える個人のモビリティなどをアイロニカルかつ軽さを持って巧みに描かれていた。とりわけ台湾のChang Yun-hanの作品群からは、なんでも思ったことは作ってみるのが良い、アーティストなのだからと、これまた至極当たり前のことを思わされたのだった。
ほか、映像作品のアーカイブを専門におこなうVideo Bureauや若手アーティストの登竜門的な位置を担う北京公社など、広大な798芸術区内でも各所の空間に合わせた特色が出ていた。
その後、カフェで休憩しつつ伺った話によると、中国における土地は国有で、あくまでも「使用権」として取引されているとのこと。土地に紐付いた不動産の機能がないこともあって投資としてのアートが持て囃される。ゆえにファクトリー的なアートも多く、「次はどんなものを作りましょう?」とクライアントと相談しながら為されることもよくあるらしい。その一方で、先日紹介したように民間の力で運営されている場もあり。いずれにせよパフォーミングアーツというモノとして残らない表現にコマーシャリズムの世界は縁遠い。
その後、夜行列車で長春へ。硬座から硬臥(寝台車)に格上げしてみる。同じ寝台ボックスに乗り合わせた2人の中国の人は簡単な英語なら話せたこともあり、恋バナ等で深夜まで盛り上がる。「それで、なんで長春に行くの?」と振られて空気はピリッとし出すのだが。これもまた長く、大事な観点を含んでいるので明日に譲る。
(ちなみに写真は芸術区内でビラを配るLINEグマ。LINEは基本、中国では接続できないが、そのキャラクターは意外と街中で見掛ける。そしてこのくらいやる気がない方が却ってビラも配れるものだ)