2018.4.15 中国10日目 ー長春ー

4月15日、滞在10日目。旧満州の長春へ。北京から同じ寝台ボックスに乗り合わせた中国の男女ふたりと呑みながらたわいもない話で盛り上がる。Julyと呼ばれる女性から「それで、なんで長春へ行くの?」と訊ねられて「中国と日本の戦争の歴史を調べに」と応えると、それまで耳を傾けつつあまり話題には加わってこなかった王さんが「そんなもの調べなくていい」「酷い歴史だ」と吐き捨てる。Julyも「その歴史を持ち出せば、日本人に対していまも怒りはある」と静かに語る。ただ、あのときの日本人といまの日本人は別とした上で「日本人はわたしたちと異なる歴史認識を持っているんでしょ? それはどのような認識なの? 率直に興味があるし、はっきり言ってみて」。「これは僕個人の意見だけども」と前置きした上で、日本の現状とその歴史認識、そしてマニラでやってきた『たこ焼き』での場づくりの話をする。そして「ひとつの答えを互いに押し付けるのではなく、いろんな応えを共有しみんなで過去を考え続けられる場をつくることはアートで可能だと思っている」と言う。「実際、いまわたしたちは国家のイデオロギーとは別の位相で個人として話が出来ている。もちろんこれはただの呑み会だけれども」。すると、また沈黙していた王さんが「まあ中国もこれまで酷いことをして来ているからお互いさまだ」と、なにを具体的に指してかは分からないがそう応じた。午前1時半就寝。午前5時に長春駅着。

長春駅は早朝でも都市部とは違い有閑な雰囲気を醸していた。ヘルメットを被った労働者の人たちが軽軌鉄道の始発を待っている。ふと先月に改正された憲法の掲示が目に入る。国家主席の任期規定が廃止されたことと個人主義、自由主義などは禁止と書かれている。

ひとまず、かつての満州国(中国では偽満州国という)の首都・長春に残る日本建築の遺構を巡ってみる。すると満州国軍事部、司法部、経済部などの行政府の建築物は病院や大学など人を活かす機関として利活用されていた。これまでに書いてきたように、上海や北京など都市部は郊外へと輪を広げていくように拡張し、利用価値のない古い建物は次々と取り壊されている。歴史的遺恨はあっても経済的価値があれば残すということか。そして、旧満州地域は南満州鉄道の駅を起点にまちづくりが始まっていることが多いため、その構造が街にいまも息づいている。街を継いでいく行為自体が文化であるが、かつて満州と呼ばれた土地に住む人たちはそんな自身の街を現在どのように捉えているのだろう。