2022/5/17 日本生活学会での発表と踊り

6/11(土)に亜細亜大学で行われる日本生活学会にお招きいただき、アートと民俗芸能/農的生活についての活動事例をお話します。

20人と少人数でかつ2時間15分いただいているので、相互にやり取りをしながら丁寧にお話する予定です。終盤には福岡・奥八女で九州大学と現地の特定NPO法人山村塾とで、現地に古くから伝わる『八女茶山唄』に合わせて制作した『八女茶山おどり』を研究者やご参加のみなさんと踊ります。

ご関心のある方はどなたでも無料でご参加いただけます。以下Peatixより詳細をご確認の上、ご予約ください。https://lifology49event.peatix.com/view

2022/5/14 寄稿『コロナ禍で「待つ」農村と、「動き続ける」アート』

2016, 17年度に若手芸術家支援として助成をいただいたアーツコミッション・ヨコハマに寄稿しました。『コロナ禍で「待つ」農村と、「動き続ける」アート』と題して、2019年12月中国・武漢にいたときの話から、世界中に拡がったコロナ禍での民俗芸能とアートの「立ち位置」の違いについて綴りました。
https://yokohama-sozokaiwai.jp/column/24394.html?fbclid=IwAR2uyxJdcXxfXf1j_WZkKTF_oTYal6CvMFkC_dVKSXQ8qZXubrK0zO0X6W0

2020/5/30 作品『教科書カフェ』小学校の教科書を集めています

 卒業後に多くが捨てられてしまう小学校の教科書。しかし、大人になって読み返すと子どもの頃の懐かしさとともに時代時代での変化が読み取れます。また、子どもや先生が教科書の内容をどう捉えていたのかも、書き込みや落書きから感じられるでしょう。


 お酒やコーヒーなどを愉しみつつ、小学校での役目を終えた教科書を自由に読みながら、自身のこれまでの教育体験に「問い」を見出す場。そうしてひとりが抱いた「問い」をワークショップにして、みんなで共有/実験をし「学び」とする場。
 

 大人になったいまだから、教育を「問」うて「学び」をつくる。それが『教科書カフェ』です。

2019/1/12 リサーチ報告会『日常との憑依-振る舞いに隠された「わたしたち」-』

昨春より京都芸術センターと協働でおこなってきたリサーチプログラムの発表会。老舗百貨店・京都大丸の「芸能」の在り方を模索しています。最近はメンバーそれぞれ大丸でバイトしてもらい(僕も年始にバイトを。稽古でお金がいただける幸せ)、リサーチに勤しんでいます。

神と人とが出会う場所として「境界」という考え方が民俗学にはありますが、百貨店は現代の境界たり得るのか? また、その境界の地で神は人に、人は神になるとされますが、その「変身」に必要な祭祀にかわる百貨店の機能とはなにか? 労働と芸能/芸術の今日的な関係性とは? など、リサーチの経過を実演を交えて共有します。

トークゲストとして、大丸百貨店の井口さんにお越しいただきますが、実演が大丸の芸能であるかどうかではなく、より広い視点で、現代における芸能の意味や近代とはなにかを考える時間になればと思っています。

日時:2019年1月12日 (土) 14:30-16:00
会場:京都芸術センター ミーティングルーム2
詳細、ご予約はこちらから:http://www.kac.or.jp/events/24852/

2018/12/8 アサダワタルさんとアーツ千代田3331でお話します。

誰かの物語をいかに受け取れるのか? 民俗芸能という何百年と継がれてきた土着のコミュニティに、「他者」として関わってきたわたしの経験から考えます。それは国家/個人に関わらず分断が加速する現代社会に生きる、「わたしたち」の話になると思います。
詳細はこちら:https://www.artscouncil-tokyo.jp/ja/events/31881/

2018/10/30 アパートメント連載『死者から生まれる民俗芸能』(全9話)

『死者から生まれる民俗芸能』と題し、8月から10月にかけて続いた事業ーー滋賀県・朽木古屋集落の六斎念仏踊り継承事業、東京・TERATOTERAにお招きいただき上演した『踊り念仏』、福岡・九州大学ソーシャルアートラボの事業「奥八女芸農学校」ーーに関する思考を、ウェブマガジン「アパートメント」に寄稿しました。

第一話「死者から生まれる民俗芸能ーとりあえずのIntroductionとして」:
http://apartment-home.net/column/201808-201809/20180805日投稿分の記事/

2018.4.18 中国滞在最終日 ー大連ー

4月18日。滞在最終日。かつての南満州鉄道に乗って瀋陽から大連へ。

15時発の大連行きまで、昨日に続きYuanyuanが瀋陽を案内してくれる。「どこに行きたい?」と訊かれて、日本戦犯審判法廷旧跡陳列館と9・18歴史博物館を挙げる。「日本人なのになんでそんな所に行きたいんだ?」と問われて、ああ日本に生まれ育ったから行きたいんだと自覚する。

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2018.4.17 中国12日目 ー瀋陽ー

4月17日、滞在12日目。かつての南満州鉄道に乗って長春から瀋陽へと南下。
12日に会った、北京でアーティスト・イン・レジデンスを運営しているSong Yiが、瀋陽のアーティスト・YuanyuanにWeChat(中国版のLINE)で繋いでくれる。瀋陽の街を案内するために宿まで車で迎えに来てくれるという。僕は外で使えるWifiを持っておらず、そして宿周辺は車の行き交う繁華街で停車できないから青いスバルを見かけたら乗り込め、というざっくりとした指示が送られてくる。「そんなんで会えるんかいな」と思っていたら青いスバルの車内から手を振る厳つい男が。Yuanyuanだった。

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2018.4.16 中国11日目 ー長春ー

4月16日、滞在11日目。現在、旧満州国の首都・長春。
午前中から偽満皇宮博物院へ。大日本帝国の傀儡国家とされる満州国皇帝・溥儀が1932年から終戦を迎え敗走した1945年までの13年間を過ごした御所だ。現在は博物館となっており、溥儀の妻や側室、また関東軍の官僚たちが溥儀や各建築物とどのような関わりがあったかが示されている。その女性たちの愛憎や関東軍の策略に対し清国再興の願いはあっても自身の意志ではどうにもならない溥儀の心情は痛々しい。中でもとりわけ関心を引かれたのは、三つの祈りの場だった。ひとつは中国大陸に古くから伝わる仏を祀った堂。もうひとつは清の先祖を祀った奉祖殿。そして満州国建国の元神とされた天照大神を祀った建国神廟。祈りは広く人間という生き物の原初的な行為であり、かつ個人の柔らかい心と接続する(と思う)。その祈りの場はそれぞれ残されており(建国神廟は敗戦後に破壊されているが、礎石は残っている)、溥儀が自身もっとも心を開くことができたのはどこだったのだろうと想像してみる。彼はそれぞれの場に祈りに立つとき、どのような思いでその空間と接していたのだろう。