2018.4.18 中国滞在最終日 ー大連ー

4月18日。滞在最終日。かつての南満州鉄道に乗って瀋陽から大連へ。

15時発の大連行きまで、昨日に続きYuanyuanが瀋陽を案内してくれる。「どこに行きたい?」と訊かれて、日本戦犯審判法廷旧跡陳列館と9・18歴史博物館を挙げる。「日本人なのになんでそんな所に行きたいんだ?」と問われて、ああ日本に生まれ育ったから行きたいんだと自覚する。

Yuanyuanが子どもの頃、旧日本戦犯法廷は映画館だったという。裁判所→映画館→陳列館という変遷を辿ったわけだが、どう裁判所を映画館にしたのかと入れば、高所にあった傍聴席から傾斜を引いて映画館としていたようだ。現在は再び法廷の形式に戻しどう裁判が行われたかを人形を用いて示している。当時のNHKが収容されていた日本人戦犯にインタビューする模様が写真展示されていたが、フィルムが貴重であったこの時分は上書きを繰り返していたため、きっとこの映像も残されていないのだろう。中国政府の監視の下、どのようなことばを彼らが日本へ届けたか、気になる。

9・18歴史博物館は柳条湖付近にあり、旧南満州鉄道の線路に隣接している。9・18事変とは日本でいう柳条湖事件だ。1931年、関東軍が仕掛けた満鉄の線路爆破を発端に満州事変は起こった。この事件の記憶を風化させないようにだろうか、戦後この一帯の土地は9・18と名付けられた。展示に浮かぶ物語はこれまでに見てきた記念館などと大差はなく、戦中戦後を通じて中国共産党の正義を説く色は変わらず強い。ただ、展示の最後で近年の日本の右傾化を断罪するパネルがあり、「依然日本は歴史からなにも学んでいない」といった記載がある。これにはふつうに同意する。

この展示を通して、ひいてはこの旅を通して、Yuanyuanにひとつ訊いてみたいことがあった。それは「中国に限らず日本でもそうだが、国家が示す歴史に対し、個人としてどう距離を取っているのか」ということだった。すると「きっとあの展示は日本側の主張と異なるよね?」とYuanyuan。「実際、話を盛っているところもあるからその真偽はわからない」「そもそもこの手の展示を鵜呑みにする中国人はまずいない。みんなこうした展示は中国共産党の宣伝行為でもあるとわかっている」「時に反日として日本車を壊したりする人たちもあるが、ああいうのは恥ずかしい行為でなにも生まない」と、訊くより前に応えられてしまった。もちろん中国の人たち皆がYuanyuanのような考えを持っているわけではないだろうが、国家思考に対して個々人が批評性を持とうとしていることが確認できた段階で、この旅の大きな目的と今後の最低限の糸口は掴めたように思えた。

15時瀋陽発、19時大連着。都会だわ、大連。地下鉄に乗れば日本語でのアナウンスが聞こえてくる。夕飯を見繕いながら適当に目に付いた散髪屋に入る。日本の美容院のように互いの心中を読み合う隙もこちらに与えず、洗面台に頭を押し付けるように髪を洗ってくれる。こんな感じで切ってね、と予め用意しておいた写メを提示するが、それにも一瞬視線を置いただけ。大丈夫かしらと思ったが、めちゃくちゃ上手だった。20元(約340円)なり。

結局、上海→南京→北京→長春→瀋陽→大連と2週間で6都市を回った。一度南京から上海へ戻った分を含むと、3,476キロを移動した(Google先生によると)。稚内から沖縄まで3,088キロらしいから、日本列島をゆうに縦断している。中国大陸の広さよ。これで日記を終わります。長々と読んでくれた方、どうもありがとう。

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最期に野暮だけれども自戒も込めて。ここまで書いて来た事柄に「正解」はひとつもないです。これは僕が2週間のあいだに出会えた僅かな人たちとのやり取りや僕の主観に過ぎず、「中国人」と一括りにしても様々な意見を持つ人が、日本と同じくいます。その意味でここに描かれたことは「ひとつの小さな解」とは思いますが、よもやこれが中国だなんて思わないでください。メディアや政府が作り出す中国像に依拠しないように。もっと人は多様で、面と向かえれば柔軟に様々な顔を覗かせてくれます。そして歴史は消えない。中国の人たちが日本の帝国主義によって苛烈な過去を負ったことは事実です。それを前提とした上で、全てが悪とか全てが正義と規定することは歴史の矮小化であり、歴史から生まれる未来への可能性や思考を破棄してしまう。個々が生み出す多様な解から最善と思える道をみんなでつくれたらいいよね、と思います。