4月13日、滞在8日目にしてはじめての雨。雨降りで肌寒い北京。
午前中は盧溝橋のふもとにある中国人民抗日戦争記念館へ。日中戦争の発端ともされる盧溝橋事件が起こった土地だ。音声ガイドと併用して展示を見てまわる。日本軍の残忍さを現すというよりは、中国の人たちがそれぞれの事象に対し、どのように振る舞ったかという視点が多く盛り込まれている。その点では居た堪れないといった感情よりは客観的にひとつひとつの事象を見つめることができた。一方、音声ガイドから毛沢東の名前は何度も聞こえてくるが、国共合作の際にも蒋介石の名前が聞かれることはなかった。また、国家を守るために命を捨てることを賞賛する、展示の最後は幹部の大きな写真で終わるなど、中国共産党の国策をこの博物館が担っていることは否めない。しかし、一般観覧客ふくめ空軍候補生たち100人ほどが展示を見てまわっていたが、日本人であることが一目で分かる僕を邪険に扱うようなことはなかった。展示内容とそれを見る人たち、国家と個人の関係性について、いろいろモヤモヤする(それは今日16日にちょっとクリアになったのだが、それは今後の日記で書く)。
夕方からは電車とバスとを乗り継いで皮村という集落へ。ここは日雇い労働者が集い来る、いわば横浜・寿町や大阪・釜ヶ崎のような街。舗装の剥げた穴だらけの道には雨水が溜まり、すれ違う人と肩を寄せて集落の外れへと進むと「皮村社区文化活動中心」の看板が。小学校跡地を活用したこのアートスペースを拠点に周辺に住まう人たちが劇団やバンド活動、読書会をおこなったり、ときに外部からアーティストを招聘して作品を共有したりしている。博物館も併設されており、これまでにおこった争議や事件、この界隈の人々がどういった生活を営んでいるかを写真や実物を用いながら「手作り感」で以って紹介している。あいにくの雨のため、この日は活動がおこなわれていなかったが、スタッフの方と話をすることができた。「日本にこういう街はないでしょう?」と訊かれ、あるよと応える。「日雇い労働者の街にアートを」ということで、上田假奈代さんがやられている釜ヶ崎芸術大学を思い出す(ちなみに5月10日、11日に釜ヶ崎芸術大学で『たこ焼き』を焼くので、よかったらぜひhttp://cocoroom.org/釜ヶ崎芸術大学・大学院2018/)。僕ふくめ知らないだけで、こうした街やそこに寄り添ったアートスペースは他にもあるのだろう。そうした横の連携からみえてくる可能性もまたあるのかもしれない。