4月7日、中国滞在2日目。朝食は昨日の市場へ。今朝はフーラータンと、ベーコンや野菜一式をラッピングしたものをいただく。今日も変わらず美味い。
清明節というお盆の時期でみんな忙しく、なかなか人と約束してのリサーチは難しい。でもお盆ならば寺へ行こう。流れに身を任せよう。
そんなこんなで龍華寺へ。着くなり長蛇の列が。なにかと思えばそこは寺内の食堂で、参拝者たちがごった返して食している。麺系のメニューのいくつかから選ぶ。「やはり食と生死は繋がるよね」と思いながら福縁麺を注文。かなり美味。20元(約340円)なり。
龍華寺にはたくさんの仏様がいて、みな思い思いの時間を佇まい、それぞれの身体性で祈っていく。身内の死者へ捧げるお金を紙でつくり(これもなぜか船に似ている)燃やす、また高所に設置された鐘の中に硬貨を投げ入れるなど、祈る行為が一種のアトラクションともなっている。人種や宗教問わず、祈りとは未知への接近だ。資本経済化の進む上海の街は空へ地下へと拡大していく中、老若男女みな前近代的な祈りの行為に時間を割く。そこに古代からの生きる術も秘められているのだと思う。
そんなUnder constractionな街を海へと進めば、横浜みなとみらい21そっくりなエリアに。その一角にある龍美術館へ。入場料100元(約1,700円)。た、高い。上海〜南京間を(硬座なら)往復出来てしまう。でも折角だし観る。観れば観たで色んな手法があって興味深い。若い作家の作品も比較的多いとも思う。聞けば日本より若手作家の作品を買う傾向があるらしく、青田買いともいえる。でも盲目的かといえばそんなこともなく、どれもそれぞれに良さが見出せる。
その後、租界時代の街並みを活かした新天地へ。「石庫門」(ちなみにこの名を冠した紹興酒が美味しい!)と呼ばれた欧風集合アパートなどを商業施設として活用している。ここでもどの品物も高い。。この街を舞台とした芸術祭が6月に開催されるとのことで来てみたが、あいにくそのディレクターも忙しく、10日に改めて会うことになる。やはりアートとは基本お金持ちの所有物なのねという思いと、清明節終わりの10日には朝から晩まで人に会うのね、と思う。ひとまず明朝からは南京へ向かう。