4月9日、滞在4日目。現在は南京。明日には人と会うため一度上海へ戻らなければならない。つまり、南京でのリサーチは実質この1日のみだが、この滞在で足を運びたかった侵華日軍南京大虐殺偶難同胞記念館は月曜日が休みだった。相変わらず調べが甘い。
2018.4.8 中国3日目 ー南京ー
4月8日、中国滞在3日目。南京に移動するため、朝6時にいつもの市場で朝食を。パジャマ姿で食べに来ているおじさんもいる。もはや自宅のダイニングルーム。変わらず美味。名残惜しい。
2018.4.7 中国2日目 ー上海ー
4月7日、中国滞在2日目。朝食は昨日の市場へ。今朝はフーラータンと、ベーコンや野菜一式をラッピングしたものをいただく。今日も変わらず美味い。
清明節というお盆の時期でみんな忙しく、なかなか人と約束してのリサーチは難しい。でもお盆ならば寺へ行こう。流れに身を任せよう。
2018.4.6 中国1日目 ー上海 ー
作品制作のリサーチで中国を訪れている。二度目の訪中。前回は2016年、上海の美術館・McaMが呼んでくれてプレビュー段階だった『たこを焼く』を上演した。今回はフィリピンの演劇祭Karnabal2017を経て、いちおうの完成をみた『たこを焼く』を自身の手法/土地で再制作&上演してくれる表現者(必ずしもアーティストに限らない)を探すべく、上海~南京~北京~満州地方へとローカル鉄道に揺られながら探す。
アジアに沈む「沈黙」にきく。
芸術のいち役割として、いかに現時点的な時代の思想を批評していけるかという観点がある。先の大戦や原発事故など、我々は歴史の転換点となるべき場面場面に際して場当たり的に対処し、メディアやときの政府に促されるままその事象の根源や周辺を軽んじてきた。
しかしこうした大きな社会課題に真正面から当たれば、たちまち「正義vs悪」といった二元としての討論に陥ってしまう。また自身の立場から規定される「悪」を安易に排すれば、ある種のユートピアを形成することとなり、思考は止まりかえって危険だ。
芸術という抽象を施した世界にその事象を映すことで「対話」となる、皆が乗れるプラットフォームとなる。過去はそのように皆のものであり、それは演劇という媒体の根源もしくは革新である。そこにこれまで提示できなかった可能性を皆で見出したい。